インタビュアー:
- 学生で首席奏者に合格、という快挙を成し遂げられましたが
そのときのオーディションのことをお話しいただけますか?
ジュリアン・ボディモン:
オーディションのことは日付まで鮮明に覚えていますよ。
2001年5月26日でした。
大好きなリヨンという街の、
ずっと憧れていたオーケストラですからね。
その一員になるのが私の『夢』だったのです。
当時私はパリ高等音楽院の学生で、勿論オーケストラ経験はないし、
年齢も若すぎるし、
どう考えても勝ち目のないオーディションでした。
しかもこのオーディションは、5年間、合格者が出ていなかったのです。
というのも、1996年までこのオーケストラの首席を務めていたのが、フルート界の大スター、フィリップ・ベルノルド氏でした。
その後任ポストですからね、ハードルは相当高い。
もう『ミッション・インポッシブル』ですよ!
- どんな課題曲が出たのですか?
モーツァルトのアンダンテとロンド、CPバッハのGMコンチェルト、
エネスコのカンタービレとプレスト、イベールのソロピース。
さらにオーケストラ・スタディが30曲も…。
難しいプログラムばかり、膨大な量です!
数ヶ月、取り憑かれたように猛練習をしました。
オーディションにはたくさんのフルーティストが詰めかけましたが
私はついに最後の4次試験まで辿り着きました。
当時の指揮者のイヴァン・フィッシャー氏が弾くピアノに合わせて
オーケストラ・スタディを吹いたのですが、フィッシャー氏は、
「もっと大きく!いや、小さく! ちがう、もっと大きく!
テンポ上げて!違う、ゆっくり! いや、もっと早く!」
と次から次へと指示を替え、やっと終わったと思うと、
「はい、もう一度頭から」と。
それが何度も何度も繰り返されて、
発狂しそうになる自分とも戦って……やり遂げました。
そして合格したのです。
夢を現実にする難しさを十分承知していたので
すぐには自覚できませんでしたが、
『夢』が叶ったのです!
- 合格を知らせたときの周囲の反応は?
それはもう、家族も先生も大騒ぎでした(笑)
面白いもので、合格した日を境に、人との距離感が変わりました。
昨日まで「先生」だった人が「同僚」になったり、
私を嫌っていた人からは、より激しく嫌われたり(笑)
学校にはあと1年在学する必要があったので、
学生をしながら首席を務める、という非常に希有な経験をしました。
- 5年ぶりに首席を迎えるオーケストラの反応はどうでしたか?
大歓迎で迎え入れてくれました。
卒業後、リヨンに引越して、最初に演奏したのは『魔笛』でした。
新生活を始めるフルーティストにとって、
こんなに最適なプログラムってないですよね(笑)
- 2005年から1年間、イギリスのオーケストラに移籍なさいましたね。
イギリスのオーケストラとして初のフランス人首席フルーティスト、
というこれもまた前例のないことを成し遂げられたわけですが、
そのときのお話もお伺いできますか?
イギリスとフランスでは国柄も音楽も根本から全く違いました。
イギリスのオーケストラは、収益を上げるために精力的に活動する、
とでも申しますか、政府の後援を受けるフランスとは真逆の環境です。
どれも貴重な経験ばかりでした。
オペラではない、交響楽団でしか得られないものも多かった。
かなりの大音量を出すことにも驚きましたし、
異なるアプローチや奏法を知ったり、
情景の解釈を素早くこなす術も身に付きました。
オーケストラごとに全く違う個性があることも実感しましたね。
- イギリスでの日々の暮らしはいかがでしたか?
正直、私には不向きな土地でした。
曇りがちな天気や食事、生活の色々な意味での不便さ…。
「La Dolce Vita」(甘い生活)のリヨンが恋しくなりました。
1日の仕事を終えたら、生活を、人生をエンジョイする。それが私のモットーなのです。
ここは自分が人生を過ごす場所ではない。
そうハッキリ自覚してリヨンに生活の拠点を戻しました。
それと、イギリスの半分の公演数しかないリヨンの方が
給料が高い、というのも生活における大切なポイントでした。
- 2008年に大野和士さんがリヨンの首席指揮者に就任されましたね。
オーケストラはどのような反応でしたか?
彼の就任を知ったときの私達の喜びは筆舌に尽くしがたいほどです。
待ち望んだ人がやっと来てくれた!そういう思いでした。
彼は驚異的な技術の持ち主と評判でしたが、その通りでした。
いつも心穏やかで優しくて、とてもチャーミングな人です。
私達はかつてないほどに、本当に幸せです。
楽団の誰もが彼を尊敬していますし、
彼もまた私達を信頼してくれているのを感じます。
ソロを吹くとき、和士は私が自由に吹けるように、
私の音楽に敬意を払って付いてきてくれるんです。
時々、敬意を払われすぎている気もしますが(笑)
それはきっと日本人が持つ心遣いなのだろうと思います。
ストラヴィンスキーのオペラ"ナイチンゲール"に
難しいフルートソロがあるのですが、
和士と一緒に演奏すると、不思議と難しく感じない。
彼と演奏すると、どんな音楽も簡単にできてしまうのです。
願わくば、彼がリヨンの街を気に入ってくれて、
快適な日々を過ごしていてほしいです。
世界的に大変人気のある指揮者なので、
いずれリヨンを去ってしまう日が来るかもしれません。
しかし、それも当然のことです。
だから私たちは今を大切に、
一緒に演奏ができる時間を心から楽しみたいと思います。
- とても強い信頼関係を築いていらっしゃるんですね。
2009年の来日公演では素晴らしい演奏を聞かせていただきました。
その来日公演で演奏した『牧神の午後への前奏曲』は、
今まで感じたことがないほどの心地良さに包まれてソロを吹きました。
和士が全てを私に委ねてくれていたのを感じました。
強く印象に残っています。
そういえばこの前、和士が仮装をしたんです!
"ナイチンゲール"は中国の宮廷を舞台にしたオペラですが、
その最終公演の挨拶のときに、和士はチャイナ服を着て、
長い付けヒゲ姿で登場したんです。
あれは本当に可笑しかった。最高でした(笑)
- 2007年にリヨン国立高等音楽院の講師にも就任されましたね。
どのような指導をなさっているのでしょうか?
フィリップ・ベルノルドと2人で分担しており、
彼が音楽的な面を、私は技術面を指導しています。
生徒たちが将来音楽家としてオーケストラで働けるように、
『徹底した音作り』と『プロとしての自覚』を厳しく教えています。
学生だから音程を外してもいい、
学生だから良い音が出なくても仕方ない、
そういった甘えをまず捨ててもらいます。
『効率的に、素早く、柔軟に。』
これがオーケストラで演奏するための必須条件です。
オーディションにどう対応するかを軸としたレッスンで、
自分は「先生」でなく「コーチ」であるかもしれません。
しかし今はそれが結果に結び付いて成果を出しています。
最近も、5人の生徒がオーケストラに合格しました。
(モナコ、ボルドー、コンセルトゲボウアカデミーに各1人、
グスタフ・マーラーオケに2人)
一期一会のマスタークラスと違って、
学校では生徒をゴールに導くまで指導が続きます。
簡単な仕事ではありません。
教えることは大好きですが、かなりの疲労を伴います。
オーケストラで演奏するときの何倍ものエネルギーが必要です。
9時から19時まで授業をして、
20時から23時までオペラ座で演奏する。
時々そんなスケジュールになる日もあるんですよ。
ちょっと過酷すぎますよね…。
- それは忙しいですね。休暇は取れていますか?
お休みはどのように過ごされるのでしょうか。
休暇を取るのは難しいですが、なんとしても死守します。
例えば、12月の後半2週間、オーケストラから休みを貰えたら、
何がなんでも、誰に何を頼まれても、絶対に休みます。
この頃、「ノー」と言えるようになってきました。
若いときは頼まれた仕事は全て引き受け、忙しさにも耐えてきましたが
今は自分で判断をし、決断をできる立場になりました。
オーケストラに所属しながら、学校で教え、長期休暇も取れる。
およそ仕事をする上でこれ以上最高の環境はありません。
年に2回、まとまった休暇を取り、
イタリアのヴェニスやアマルフィ海岸などで過ごしています。
- 何度か日本にいらしていますが、
どんな印象をお持ちですか?
今まで5回ほど日本を訪れましたが、もっと行きたい、何度でも舞い戻りたい、そう思う場所です。成田に降り立つたび、なんて大きな街なんだろう、
どれだけの人がいるんだろうと、毎回衝撃を受けます。
東京に比べるとリヨンは『村』ですね…。
そして日本の人は皆、礼儀正しく、丁寧で、清潔で、
……フランス人とは180度違います。
だから不思議なんです。
なぜ日本の方がフランスに憧れるのか。
なぜ皆さんフランスへ行きたいのでしょうか?
日本のほうが何百倍も素敵な国ですよ!
- 最後に、今お使いの楽器について聞かせてください。
14年間、三響フルートに一途です。
ずっと同じ5Kフルートです。
一目惚れでしたが、今だに愛は消えず、
この楽器の熱狂的かつ盲目的ファンです(笑)
三響の木管フルートも手に入れました。
グラナディラ木材の管体に、14Kゴールドのキーを付けてもらいました。
これも素晴らしい楽器です。オーケストラでも時々使っています。
思うに、好きな楽器を吹いているときというのは、
いわゆる恋人同士、カップルでいるのと同じです。
皆さんも、今使っている楽器が好きだと感じるのなら、
ほとんどの場合、替える必要はありません。
三響フルートと結婚して14年間浮気をしたことのない私が
自信を持って断言します!(笑)
2010年7月、東京〜リヨンにて
インタビュアー:三響フルート製作所 本多由佳
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